目次
1.問題提起
- 安倍晋三元総理暗殺から3年を迎えるが、責任論が「統一教会」「自民党」に向かう風潮を批判
- 「加害者の恨み」を外部要因に求める論法は、殺人の責任を矮小化・正当化しかねない危うさ
2.論理の飛躍とその危険性
- 因果関係の単純化
- 「山上容疑者が統一教会に恨みを持ち、その矛先が安倍氏に向かった → 早期解散なら防げた」という主張は、
殺人を社会的・政治的要因で説明しようとする誤謬
- 「山上容疑者が統一教会に恨みを持ち、その矛先が安倍氏に向かった → 早期解散なら防げた」という主張は、
- 責任の所在の取り違え
- 殺人行為を選択したのは加害者自身であり、原因を特定の団体・政党に帰するのは無責任
- 暴力肯定のリスク
- 外部要因を持ち出して「やむを得なかった」と同調することは、暴力を正当化・模倣を助長する恐れ
3.本来問われるべき視点
- 加害者の倫理と責任:個人の選択と犯罪性を厳しく問うべき
- 被害者の尊厳と命の重み:政治的象徴として利用するのではなく、安倍氏の人間としての尊厳を忘れない
- 社会の暴力否定原則:どんな理由があっても暴力を肯定してはならないという大前提
4.まとめ
- 事件を都合よく象徴化し、特定の団体・政党への批判を強調する論調は要注意
- 本質は「誰かの恨み」ではなく、「暴力行為を選んだ個人の責任」にある
- 社会は「暴力を正当化しない」という原則を堅持し、真に問うべきは加害者自身と暴力の非合法性である