- 幼少期~思春期の葛藤
- 「神様は本当にいるのか? メシヤの証拠はどこにあるのか?」と懐疑的だった。
- 家庭内にクリスチャンとしての基盤はなく、見えない存在を信じる理由を持てずにいた。
- 青年期の教会復帰と探究
- 部活引退後、親に連れられて教会へ行ったところ、先輩信徒たちからの温かい受け入れを経験。
- 「本当に神様はいるのか」「メシヤ(救い主)は本物か」を自ら確かめるため、1か月間の長期リトリート(集会)に参加。
- 転換点:神の愛の実感
- 自分の人生を振り返る中で、「どの瞬間にも神が共にいて、自分を愛し、見守ってくれた」ことを心から実感。
- 涙が止まらないほど感動し、「神が生きている」「自分を愛してくれている」と確信し、以降は信仰をもって歩む決意に至る。
- 父の急逝とその後の成長
- 4年前にフィリピン人の父親ががんで急逝(余命3か月)し、大きなショックを受けた。
- 「神がこの経験を自分を成長させるプロセスとして用いている」と受け止め直し、再び神の愛を感じる。
- 父への感謝と後悔
- 言葉の壁はあったものの、異国で家族のために働き苦労した父への感謝が強い。
- もっと深い対話ができなかったことへの後悔と、「ありがとう」「ごめんね」を伝えたいという想い。
- 教会=「本当の家族」の実感
- 表面的な付き合いではなく、心から許し合い支え合える場所としての教会を「第二の家族」として肯定。
- 「多くの人にこの喜びを体験してほしい」と呼びかけ、幸福感あふれる共同体としての教会像を語る。
以上が、証拠を求め迷いながらも、リトリートでの体験を通じて「神の実在と愛」を実感し、深い感謝と共同体への帰属意識を得ていくまでのストーリーです。