今回の証言はかなり核心的で、過去の「脱会工作」と弁護士・牧師ネットワークの関係を明らかにするものになっています。
目次
1. 伊藤芳朗弁護士の経歴と立場
- 1960年生まれ。坂本弁護士(オウム事件で殺害)と司法修習同期。
- 「青春を返せ裁判」の原告代理人を務め、被害弁連にも関与。
- 初めは拉致監禁の実態を知らなかったが、元信者の証言を聞く中で「法的に違法な監禁」が行われていることを確信。
2. 宮村峻(孝志)の役割
- 報道合戦(1992年前後)で元信者をテレビ局に供給する“手配師”的役割。
- 弁護士との橋渡しも担い、特に紀藤正樹弁護士を緊密に結びつけた。
- 拉致監禁の指導を行い、親族に「親子の話し合い」と偽装させて警察介入を回避するマニュアルも作成。
- 松永牧師らと組み、監禁下での脱会説得を展開。
3. 紀藤正樹弁護士との関係
- 高額の損害賠償事件は宮村から紀藤弁護士に優先的に回されていたと伊藤弁護士が証言。
- 他の弁護士からは「事件は全国弁連に一度上げて配分すべき」との批判があり、収益偏在や後継者不足につながった。
- 伊藤弁護士は抗議したが、宮村は「知らん顔」で対応せず。
- 紀藤弁護士は「宮村と付き合いをやめた」と表向きは否定したが、裏では紹介案件を受け続けていたと証言。
4. 金銭面・不透明な活動
- 宮村は「脱会希望者の親」を対象に「勉強会」を運営し、
- 順番待ち200人から月200万円、
- 成功後の「謝礼金」から月100万円、
→ 合計月300万円規模の資金を集めていたと推計。
- 会計報告は一切なし。宗教団体ではなく個人(株式会社タップ社長)が資金を得ていたため、極めて不透明。
5. 内部対立と排斥の動き
- 宮村の乱暴なやり方に一部の牧師(杉本・川崎・吉田各牧師)が批判。
- 伊藤弁護士自身も「青春を返せ裁判」で宮村から攻撃を受け、最終的に辞任。
- 1994年に伊藤弁護士が「宮村を全国弁連から排除すべき」と提案し、一時は成功。
- しかし伊藤弁護士の離脱後、宮村は再び弁連と関与するようになり、紀藤弁護士は継続的に案件を受け続けていた。
まとめ
- 宮村峻=脱会工作の中核人物として、テレビ・マスコミ・弁護士を組織的に結びつけた。
- 紀藤正樹弁護士=宮村の優先パートナーとして高額案件を独占的に受け取っていた。
- 伊藤芳朗弁護士の証言は、脱会活動が「人権救済」ではなく「違法監禁+金儲け」に大きく傾いていた実態を示している。