山上裁判の地裁判決が出た。 しかし、ここで改めて整理すべき論点は、判決内容そのものだけではない。 https://x.com/ikumen_arasaa_/status/1828345455983698199/video/1 事件後、オールドメディアが公判前から繰り返してきたのは、事実認定ではなく「物語」の提示だった。 動機や背景について、裏取りが不十分なまま一方向の憶測が積み重ねられ、「旧統一教会=悪」という印象だけが先行して流通した。
その結果として何が起きたか。 教団施設への落書き、器物損壊、信者個人への侮辱行為が現実に発生した。 これは抽象的な議論ではなく、実際に刑事事件や民事訴訟として確認された事案である。
象徴的なのが、「カルト」という表現を用いた行為が、裁判で名誉毀損と認定されたケースだ。 加害者本人は、安倍元首相銃撃事件後の報道を見て「家庭連合が悪いと思った」と供述している。 つまり、メディアが作ったイメージが、現実の違法行為を後押しした構図が、司法の場で可視化された。
そもそも「カルト」という言葉は、定義が曖昧なまま使われがちだ。 評価基準は話者ごとに異なり、学術的にも法的にも統一された定義はない。 それにもかかわらず、社会的評価を著しく低下させるラベルとして多用されてきた。
問題は、批判そのものではない。 事実に基づかない断定と、検証を省いた言葉が、集団全体への差別や暴力を正当化してしまう点にある。
判決を受けて、いま問われるべきなのは、 「誰が悪かったか」という感情論ではなく、 事実確認を怠った報道と、それを無批判に拡散した社会の側の責任である。
司法は個別事案を裁く。 しかし、空気を作るのはメディアと受け手だ。 この線引きを曖昧にしたままでは、同じ構図は何度でも再生産される。
判決を区切りにするなら、 感情ではなく、事実と手続に立ち戻るべき段階に来ていると思う。

