メシヤという証拠はどこにあるんだ….神様はいるのか?いないのか? 信教二世の体験談 TURNING POINT File.13(家庭連合二世の体験記)公開版

  1. 幼少期~思春期の葛藤
    • 「神様は本当にいるのか? メシヤの証拠はどこにあるのか?」と懐疑的だった。
    • 家庭内にクリスチャンとしての基盤はなく、見えない存在を信じる理由を持てずにいた。
  2. 青年期の教会復帰と探究
    • 部活引退後、親に連れられて教会へ行ったところ、先輩信徒たちからの温かい受け入れを経験。
    • 「本当に神様はいるのか」「メシヤ(救い主)は本物か」を自ら確かめるため、1か月間の長期リトリート(集会)に参加。
  3. 転換点:神の愛の実感
    • 自分の人生を振り返る中で、「どの瞬間にも神が共にいて、自分を愛し、見守ってくれた」ことを心から実感。
    • 涙が止まらないほど感動し、「神が生きている」「自分を愛してくれている」と確信し、以降は信仰をもって歩む決意に至る。
  4. 父の急逝とその後の成長
    • 4年前にフィリピン人の父親ががんで急逝(余命3か月)し、大きなショックを受けた。
    • 「神がこの経験を自分を成長させるプロセスとして用いている」と受け止め直し、再び神の愛を感じる。
  5. 父への感謝と後悔
    • 言葉の壁はあったものの、異国で家族のために働き苦労した父への感謝が強い。
    • もっと深い対話ができなかったことへの後悔と、「ありがとう」「ごめんね」を伝えたいという想い。
  6. 教会=「本当の家族」の実感
    • 表面的な付き合いではなく、心から許し合い支え合える場所としての教会を「第二の家族」として肯定。
    • 「多くの人にこの喜びを体験してほしい」と呼びかけ、幸福感あふれる共同体としての教会像を語る。

以上が、証拠を求め迷いながらも、リトリートでの体験を通じて「神の実在と愛」を実感し、深い感謝と共同体への帰属意識を得ていくまでのストーリーです。

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