目次
【3行要約】
- 1993年と1997年の2回にわたり、親族や牧師によって山口県の田舎や実家で拉致・監禁された元大学生の証言です。
- 1度目は「偽装脱会」を装って脱出し、2度目は窓の鍵の閉め忘れから夜間に自力で逃亡を果たし、現在はアメリカで家庭を築いています。
- ジンボ氏は「強制改宗をそそのかされた親もまた被害者である」と語り、公式な被害者名簿(4300人)に載っていない隠れた被害者が多数存在することを指摘しています。
【階層的要約】
大学2年の夏休みに起きた最初の拉致監禁
- 1993年の夏休み、山口県の田舎にある母親の実家に帰省した際、親戚一同によって監禁されました。
- 電話線を抜かれて外部との連絡を完全に絶たれ、陣内牧師や元信者による脱会説得(強制改宗)が始まりました。
- 監禁から約40日後、ジンボさんは手探りの状態の中で「偽装脱会」を装い、内容証明郵便を送ることで一時的に解放されました。
偽装脱会からの逃亡と大学復帰
- 解放後も実家で24時間監視される軟禁状態が続きましたが、母親と妹が買い物に出た隙を突いて逃亡しました。
- その後は身分や居場所を隠しながら教会に身を寄せ、公衆電話から親と定期的に連絡を取り、関係修復に努めました。
- 親に大学を勝手に休学させられていたため、半年間の隠遁生活を経て、1年遅れで大学に復帰することになりました。
卒業目前に襲いかかった2度目の拉致監禁
- 1997年、大学卒業直前のゼミの最後の授業を終えて駐車場に出ると、親が待ち構えており再び拉致されそうになりました。
- 駅前の4階建てアパートの最上階に連れ込まれそうになりましたが、路上で必死に抵抗し叫んだことで実家へ連れ戻されました。
- 実家では全ての窓やドアに防犯用の補助鍵が取り付けられ、卒業式にも出席させてもらえない完全な監禁状態に置かれました。
自力での脱出とアメリカでの再出発
- 監禁から約40日後、2階の自室の窓の鍵が偶然開いているのを発見し、夜間にリュックサック一つで逃亡を果たしました。
- その後は教会の修練を経てアメリカへ渡り、現在は現地で就職・結婚し、子供や孫にも恵まれて幸せな家庭を築いています。
- 親との関係は、孫ができたことを機に少しずつ改善し、かつての監禁現場に親戚が集まって祝宴を開くまでになりました。
親もまた「被害者」であるという真実と隠れた被害者たち
- 現在も親とはLINEで交流していますが、親は牧師に「育て方が間違っていた」と吹き込まれたトラウマや偏った思想から未だに抜け出せていません。
- ジンボさんは、親を恨むのではなく「拉致監禁をそそのかされた親もまた、強制改宗勢力に騙された被害者である」と強調しています。
- また、吉村氏が作成した4300人の被害者名簿にジンボさん自身や知人の名前がないことから、実際の被害者はその倍以上いるのではないかと推測しています。

