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目次
■ 3行でわかる
① 世界日報『Viewpoint』の連載「少子化の深層を探る(中)」によると、戦後7年間日本を統治したGHQは、人口過剰による再度の軍事進出を防ぐため産児制限で人口増加を抑えようとした。
② 米国内の中絶反対世論を避けるため加藤シヅエら日本人協力者の手で1948年に優生保護法が成立し、経済的理由の中絶容認と1952年の改正で中絶は1955年に約120万件のピークに達した。
③ 同法では本人の知らぬ間に約2万5000人が不妊手術を受ける被害も生じ、「子供は2人まで」の推奨から合計特殊出生率1.14の現在に至る急激な少子高齢化の一因になったと指摘する。
動画の概要
小笠原家庭教会が、世界日報社のオピニオン誌『Viewpoint』に掲載された連載「少子化の深層を探る」の(中)編「加藤シヅエが産児制限に協力、中絶が100万件以上の年も」を紹介する回です。戦後のGHQ占領政策と優生保護法が、現在の少子化にどうつながっているかを解説しています。
主なポイント
1. GHQの狙いは日本の弱体化
- 戦後約7年間の占領統治で、GHQは日本の弱体化・無力化を基本目標としていた。
- 人口が増えれば再び海外へ軍事進出しかねないとして、産児制限による人口抑制を考えたとされる。
- しかし米国内には中絶反対の世論があり、海外で中絶を推進すれば国内批判を受ける恐れがあった。
- そのため日本人協力者(加藤シヅエら)を得て、「日本が自ら導入した」形で法制化を進めたと記事は述べる。
2. 優生保護法の成立とその罪
- 1948年成立の優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」ことを目的に中絶を認めた。
- 遺伝的に劣るとされた人の子孫を残さないという思想に基づき不妊手術も容認し、本人が知らないうちに手術を受けた人は約2万5000人にのぼる。
- この被害が原因で法律は改正され、現在は「母体保護法」となり、優生上の理由は中絶理由にならなくなった。
3. 中絶件数の急増
- 当時の同法は経済的理由による中絶も認めていた。
- 1952年の再改正で、中絶の可否が指定医の判断に委ねられた。
- その結果、中絶件数は加速度的に増え、1955年には約120万件でピークに達した。現在はその約10分の1まで減っている。
4. 現在の少子化へのつながり
- 戦後の人口増加で「食べさせていくのが大変」という事情もあり、「子供は2人まで」が推奨された。
- 今では2人どころか結婚しない人も増え、合計特殊出生率は1.14まで落ち込んだ。
- こうした戦後の政策が、日本の急激な少子高齢化をもたらした原因の一つになっていると語る。
まとめ・結論
他のメディアがあまり取り上げない、GHQ占領政策と優生保護法という少子化の「深層」に鋭く切り込んだ記事として、『Viewpoint』の同連載を高く評価しています。記事は世界日報のホームページでも閲覧でき、保守層にも訴えかける中立的なオピニオン誌として一読を勧めています。
参考記事:【連載】少子化の深層を探る(中)加藤シヅエが産児制限に協力、中絶が100万件以上の年も(世界日報)
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