▶ https://www.youtube.com/watch?v=oD_qFrksy28
目次
■ 3行でわかる
① 家庭連合の元法務局長・近藤徳茂氏は1987年11月、東京・杉並区の荻窪栄光教会の敷地内にある牧師館に40日間監禁され、親族に殴られ眼鏡を壊されるなどしたうえで、宮村峻氏から脱会説得を受けた。
② 監禁中に神体験をして説得者を「自分の子ども」のように受け止め、「イエス様の愛が分かった」と語ると、疑っていた元信者まで感動して握手を求めてきたといい、中川氏は牧師の立場から教会側の姿勢を「情けない」と批判する。
③ 被害者が神の恵みに感謝しても監禁の責任は消えないとして、加害者の責任と、警察・検察・裁判所が4,300人以上の拉致監禁と献金訴訟の関係をどこまで検証したのかという国家の責任を分けて問うべきだと訴えている。
動画の概要
牧師で日本自由の会代表の中川氏が、田村政治チャンネルで行った家庭連合元法務局長・近藤徳茂氏との対談(近日公開予定)の内容を紹介しています。近藤氏自身の40日間の監禁体験と神体験を手がかりに、拉致監禁・強制棄教の問題を見過ごしてきた日本の司法とキリスト教会のあり方を問い直しています。
主なポイント
1. 拉致監禁と献金訴訟の関係を検証すべき
- 福岡県中間市の市議会議員がXで、旧統一教会の献金裁判は信者への拉致監禁とセットで急増していると指摘
- 4,300人以上の信者が監禁され、その強制改宗のプロセスで裁判が作られた疑いがあるとの問題提起
- 監禁の人数と訴訟との因果関係は検証されるべきであり、そこに日本の司法の重大な問題があると中川氏は考えている
- 奴隷制度のように、その時代に正しいとされたことが後の時代には誤りとされる例は多く、拉致監禁もその一つになるとの見方
2. 近藤徳茂氏の40日間の監禁
- 1987年11月、荻窪栄光教会の礼拝堂裏にある牧師館の1階に40日間監禁された
- 親族の説得中におじに殴られ、眼鏡のレンズが外れて視界を奪われ、監禁を覚悟した
- 連れて行かれる前に「1日1回の散歩」「十分な睡眠」「3度の食事」の3条件を出し、監視付きの散歩が大きな助けになった
- 当時は牧師が前面に出ていたが、のちに「親子の問題」とするため牧師は後ろに下がり、親だけにやらせるようになった
3. 監禁中の神体験
- 監禁の翌日の早朝、強い不安に襲われた中で、内側で霊的な「爆発」のような体験があり、神との対話が始まった
- 説得にあたったのは脱会屋として知られる宮村峻氏で、のちに12年5か月監禁される後藤徹氏も1回目の約5か月の監禁時に同席していた
- 神から「宮村があなたの子どもだったらどうする」と語られ、調べてきたことを報告する子どものように相手の話を受け止めるようになった
- 脱会の偽装を疑い、何度も信仰を捨てたか確かめる「踏み絵」が続いたが、「相手の気持ちを理解すること」を示された
- 「イエス様の痛みと愛が分かった気がする」と語ると空気が一変し、最後まで疑っていた元信者まで感動して握手を求めてきた
4. キリスト教会への批判
- 人を監禁して自由を奪い、信仰を捨てたか何度も確認したうえで「イエスの愛が分かった」で喜ぶことが、キリスト教の愛の勝利なのかと疑問を呈する
- 教会の50年史には、こうした活動で教勢が伸びたことをうかがわせる記述があるという
- ルカの福音書9章で、イエスは自分を受け入れないサマリア人の村を焼き滅ぼそうとした弟子たちを戒めており、力で従わせることを認めなかった
- 本当にキリストの愛を実践していたのは、自由を奪った側なのか、奪われながら相手を理解しようとした近藤氏なのかが問われる
5. 被害者の「感謝」と加害の責任は別問題
- 監禁中に神体験をして「被害者ではない、むしろ感謝している」と語る人もおり、人権侵害を社会に訴えるうえでの悩みになっている
- 被害者が経験をどう受け止めるかと、監禁行為が許されるかはまったく別の問題
- 加害者の回心を伴わない許しは「許可」にすぎず、人権侵害がなかったことにはならない
- ハンス・キュンクの「最も聖なるところに最も邪悪なものがうごめく」という言葉を引き、キリスト者こそ注意すべきだと語る
6. 問われる国家と司法の責任
- 警察・検察は何をしてきたのか、裁判所は拉致監禁の実態と訴訟への影響をどこまで検証したのか
- 監禁という場で形成された脱会者の証言に基づいて、解散命令が出されたのではないかと疑問を呈する
- 献金に違法な問題があれば裁けばよいが、嫌いな宗教の信者であっても人権は守られるべきで、それが法治国家の最低限のルール
- 憲法が保障する信教の自由を、司法がきちんと守ってきたのかが問われている
まとめ・結論
信仰によって監禁を乗り越えた人がいても、その「信仰の勝利」を加害行為の正当化に使ってはならないと中川氏は強調します。そのうえで、信仰を捨てさせるために自由を奪った人々の責任と、それを見過ごしてきた国家・司法の責任を分けて問い、キリスト教会にも自己批判を求めています。近藤氏本人の証言を収めた対談は、田村政治チャンネルで公開予定です。
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