「復讐だからテロではない」論の罠。暗殺で国が動いた事実を肯定する危険性。【家庭連合一世おじさん信者】

https://youtu.be/GifyuNJ5xfY

目次

3行要約

① 安倍元首相銃撃事件を「山上被告の個人的な復讐でありテロではない」「放置された問題が解決したのだから政府がテロに屈したとは言えない」とする反論コメントに対し、危機管理論・倫理学の観点から3つの論理的な落とし穴を指摘した。

② テロの定義は標的ではなく「公の場での過激な暴力で社会・国家を揺さぶり、政策や構造を変えさせる行為」であり、事件直後に行政が解散命令請求へ急転換したことは、犯人の狙いに沿った「テロへの屈服」にあたると論じた。

③ 「暗殺のおかげで国が動いた」と結果オーライで肯定すれば、言論や選挙では動かない国も人を殺せば動くと認めることになり、第2・第3のテロリストに正当性を与える危険があると警鐘を鳴らした。

動画の概要

家庭連合1世信者でサイエンスジャーナリストの小林浩氏が、前回動画に寄せられた「安倍元首相銃撃事件は国家へのテロではなく個人的な復讐であり、結果として家庭連合の問題が解決したのだから『政府がテロに屈した』という表現は的外れだ」という反論コメントを題材に、一見筋が通って見えるこの論理に潜む3つの危険な落とし穴を解説した。

主なポイント

1. 「政府を狙っていないから復讐でありテロではない」という論理のすり替え

  • 政治学や国際社会におけるテロの定義は「誰に銃口を向けたか」ではなく、公の場での過激な暴力によって社会や国家に甚大な影響を与え、政策や社会構造を変えさせようとする行為そのものを指す。
  • 山上被告の動機が家庭を壊されたことへの復讐だったとしても、選んだ手段は民主主義国家の象徴的存在である元首相を白昼堂々殺害するという最も過激な暴力だった。
  • その結果、政府・メディア・行政が根底から揺さぶられた以上、客観的・構造的には「ローンウルフ型(単独型)テロ」そのものであり、「建物を壊していない」「政府転覆が目的ではない」という主張は表面的な言葉に囚われたすり替えにすぎない。

2. 「復讐なのだから政府がテロに屈したという表現は的外れ」という誤解

  • 「テロに屈する」とは、犯人の物理的脅威に直接脅されて降参することだけではなく、重大犯罪の直後に犯人の意図に沿う形で国家が方針を変えたり行政処分を急展開したりすることを意味する。
  • 山上被告の狙いは教団にダメージを与え社会から排除することであり、事件前は動かなかった行政が暗殺直後に一気に解散命令請求へと舵を切った。
  • 犯人の動機が個人的なものであっても、国家の行動は結果として犯人の望み通りの展開を作り、テロに「成功体験」を与えてしまったと指摘した。

3. 「放置された問題にようやく国が動いた」という結果オーライの論理

  • 被害者が救済されたのだから良かったという考えは、「テロが起きたおかげで社会が良くなった」という結果オーライの論理である。
  • 「暗殺がなければ国は動かなかった」と認めることは、言葉・選挙・署名活動といった民主的手続きでは国は動かないが、人を殺せば国は動くという事実を私たち自身が肯定することになる。
  • 宗教被害や行政の不作為を批判することは大いにすべきだが、それと「暗殺をきっかけに国が動いても仕方がない」と正当化することは全く別の問題である。
  • この論理を一度でも許せば、社会問題の解決のためなら有名人の殺害も仕方ないという形で、第2・第3のテロリストに正当性を与えてしまう。

まとめ・結論

山上被告の生い立ちや心情には同情すべき点があり、国が旧統一教会の問題にもっと早く対処すべきだったという指摘もその通りかもしれない。しかし、犯人にどんな絶望があろうと、行政にどんな不作為があろうと、白昼の銃撃による殺害をきっかけに国が動き方針が変わるという前例を作ってはならなかった。「復讐だからテロではない」「結果として国が動いたから良かった」といった言葉で出来事をうやむやにすることは、知らず知らずのうちにテロリストに勝利を与え、暴力を容認する社会へ踏み込むことになる。暴力によって政治や行政が動かされたという客観的事実から目を背けてはならないと強調した。


▶ 元動画を視聴する(家庭連合一世おじさん信者)

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